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執筆者の写真Kawabe Fumi

どうして大工になったんだろう?6、どんな大工になろうか?


カテゴリー 私の大工の履歴書


木の家・自然な家で、あなたの暮らしを楽しみませんか?

東京・多摩エリアの「つくり家工務店」です



逆カルチャーショックに陥る


カナダでの充実した暮らしを満喫して、やり切った感とともに帰国しました。



カナダでの経験は、私に大きな影響を与えました。


ものづくりが私を夢中にさせると知ったこと。


海外の建築様式に触れたがゆえに、逆に、日本建築、道具に興味を持つことができたこと。


仕事として、建築というものを意識するようになったこと。


そして、自由を感じられること、自然体で過ごすことが幸せである、と感じたことです。




帰国した私は、学生の頃からお世話になっていた方の家にしばらく居候することになりました。


そのお宅で営んでいるカフェやアウトドアビジネス等のお手伝いをしながら、自分の今後の身の振り方を、ちょっと立ち止まって、じっくり考えてみようと思ったのです。


なぜかというと、たしかに建築には興味を持てたのですが、これからどのようにして、ここに関わっていくのが楽しくなるだろうと考えた時に、いまひとつしっくりくる答えが出てこなかったのです。


恐らく、大工の親方の下で弟子になって技能、知識を学ぶのが、一番手っ取り早い方法でしょう。


要は身を固めるということです。


でも、身を固めるにはまだ早いのではないかと思う気持ちが強かったのです。


一度入ってしまえば、中途半端なことはできません。


とても厳しい環境でしょう。

びびっていたんですね。


それを受け止める覚悟もできていなかったのでしょう。


一方で、「30になるまでは好き勝手に生きてやろう」とまで公言していた私です。


まだ当時は25歳くらいだったので、ちょっと早かったのです。


今思えば、「なんて道楽息子なんだ!」と嘆かわしいのですが、最低限、人には迷惑はかけてなかったのでお許しください(苦笑)。


自然体でいること、自由を感じることを体感してしまった私は、就職することでそれらを失ってしまうことを恐れたのでした。


自分にしかできない仕事の仕方を考えれば良かったのですが、そんなことをイメージすることすらできなかったのです。


しばらく外国で暮らし、その国の文化に慣れてきた頃に母国に帰国することで陥りやすい「逆カルチャーショック」にハマってしまったとも言えます。


「仕事をしない者は人じゃない」みたいな、今流行りの同調圧力!?もあって、これまであまり迷うということがなかった私が、突然、途方に暮れることになってしまったのでした。




いきなりつまずいた大工人生


そんな葛藤のさなか、居候先の方から工務店の社長さんを紹介してもらいました。


とてもいい方で、「大工修業を始めるにはちょっと遅いが、やる気があるならおいで」と言ってくれました。


当時は25,26歳だったと思いますが、大工として修業し始めるには遅いと言われていました。


それ以前の大工さんは、中卒あるいは高卒でスタートするのが普通で、ここまで歳を重ねてしまうと、人間がある程度固まってしまい、修業で怒られ続ける日々が耐えられないのではないかとも言われました。


たしかに、いろんな経験をしてきた上で、「普通の大工」にはなりたくないという思いは強かったんですけれど。



依然として、進むべき方向が、しっくりこない、固まってないままだったのですが、頭の中でどれだけ考えても埒が明かない。


行動せずにうだうだしてる自分に腹立たしさを感じていたし、「大工修業を始めるには遅い」と言われたことにも焦りを感じていました。


そして、建築の技術や知識を得ることを望んでいたのは間違いなく、最終的には、紹介してもらえたこともひとつの縁だと思い、この工務店に入れてもらうことにしました。




入社してまもなく、積極的に大工作業をやらせてもらい、夢中になって励んだ記憶があります。


ただ、いかんせん、私が不器用極まりなく、「このまま続けていていいのだろうか?」と不安になったものです。


それでも、親方、そして社員大工さんと、みなさんとてもまじめでいい人たちばかりで、「見て覚えろ!」的な前世代の職人の教え方ではなく、丁寧に教えてもらいました。




しかし、充実した大工修業とは裏腹に、なにか納得できない、奥歯に物が挟まるような思いが常にありました。


工務店、環境が決して間違っているということはないのですが、私の中の方向性との違和感を感じるようになっていました。


全く私の中での問題でした。


帰国当初から迷い、はっきりできていなかった、「自分は何がしたいのか?」といったことが原因でした。



傲慢で感覚的で、今思えば、本当に申し訳ないことしたなぁと思うのですが、「ここには長くいられない」と感じてしまいました。


工務店への迷惑をできるだけ少なくした上で、1年という短い期間で私の最初のチャレンジは終わってしまいました。



この時感じたことは、普通の大工、一般的な工務店になりたいのではないんだな、ということ。


他にはいない、自分にしかできない大工、工務店、建築家になりたいと。



なんなら、「変な大工」になりたいんだなと思いました。



そんなわけで、いきなりつまずいたのですが、自分の本心に少し近づけていいこともあったなと、案外、ネガティブな気持ちではなかった記憶があります。




しかし、


まだ大工としては、何ひとつできない状態です。


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