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執筆者の写真Kawabe Fumi

どうして大工になったんだろう? 1,そもそも好きではなかった建築のお仕事

更新日:2023年8月20日

カテゴリー 私の大工の履歴


木の家・自然な家で、あなたの暮らしを楽しみませんか?

東京・多摩エリアの「つくり家工務店」です。


今日のテーマは私が大工になるまでの紆余曲折のお話。



  • プロローグ

最近、自分と向き合うことが増えました。


ひとりで切り盛りしているこの小さな会社をどのように進めていけばいいかと考えると、自分の心の声を聞く作業が必要になるわけです。


まずは、初心に立ち返ってみて当時の自分の気持ちを掘り起こしてみます。


「私は何がしたかったのだろう?」


「私はどうすれば人の役に立つのだろう?」


でも、なかなか明確な思いがあったわけではありませんでした。


そもそも、「どうして大工になったんだろう?」


ここからしても、なんかあやふやで怪しい。


そんなことも含め、自分の仕事を振り返って、自分の気持ちを整理したいと思いました。


大工になって30年近く経ちますが、そんな大義名分があって始めたわけでもありません。


でも、その時々で、何かを想い、トライしようと思ったのは確かです。


ひとつひとつ振り返ってみて、自分が大切にしていること、想いに寄り添ってみたいと思います。



  • 家業は設計事務所

私の実家は静岡県沼津市で建築設計事務所を営んでいました。


こんな話を人にすると、「なんで跡を継がなかったの?」なんてよく聞かれます。



本音はあまり好きになれなかったんです。




子供のころ、事務所に遊びに行って、細かい図面、精巧にできた建物の模型などを眺めていることもありました。


おおざっぱなところがある私からすると、父への尊敬の念を持った半面、


正直言って、「これは私の手には負えない」と悟ったものです。


若い男子としては、大きな人間になりたいと思っていたのですが、設計の仕事のチマチマ感(若気の至りでお許しを)が好きになれなかったところもあります。


高校に入って、数学、物理は全くお話にならず、赤点すれすれ。


心情的にも、理論的にも仕事の選択肢からは遠ざかっていったのです。



それが20年後、多少の誤差はありますが、同じ業界で働くことになるのですから不思議なものです。




父とはそれほど仲が良かったわけでもなかったですが、長男であった私に「跡を継げ」などと言ったこともありませんでした。


のびのびと好きなことをやらせてもらえたので、変なプレッシャーを感じることもなく過ごすことができたので両親には感謝しています。


大学も農学部だったので、全く今の仕事には関係ありません。



ただ、今思うと、当時は、自立、自由というものにものすごく執着していた自覚があります。


早く一人でも生きていけるという存在になりたかった気がします。


だから、家業についても、あえて避けていたのかもしれません。


跡を継ぐということが、親に頼っているふうに見られるのが嫌だっただけなのかもしれません。


20年後、家業に近い仕事を選んだ、自分の心の中の0.1%ぐらいは、親に対する罪滅ぼし的な要素があったのかもと、それから30年経った私は思うのですが…



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